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17 在原業平
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天長2(825)年〜元慶4(880)年。父方のおじいさんは平城天皇、母方のおじいさんは桓武天皇です。平安朝きっての美男子。学問(漢文)や政治的なことに関してはいま一つだったようですが、和歌の才能は傑出していました。この才能を遺憾なく発揮して、情熱的な和歌をたくさん残しています。特に、恋の歌が上手でした。うわさになった女性も数多く、後の時代には3733人もの人と恋に落ちたという伝説もできたほど。これはかなり疑わしいですが、歌物語といわれる『伊勢物語』が業平の歌を中心としてできていて、いろいろな恋物語がちりばめられていることと、実際に、業平には恋人がたくさんいたということからできた伝説でしょう。 おもしろい恋のエピソードがたくさんあるのですが、ここでは紹介しきれません。気になる方は、どうぞ古典をお読みあそばせ。さまざまな恋の形、駆け引きを垣間見る(こっそりとのぞき見る)ことができます。
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さて、和歌の方ですが、これは恋の歌ではありません。 龍田川に散り浮かんだ紅葉の美しさを詠い上げたものです。
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さまざまな不思議なできごとがあったという尊い神代の昔にだって聞いたことがない。紅葉が龍田川に散って、その光景が、まるで水を真っ赤に絞り染めにしたようになってしまうなどということは。
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「韓紅(からくれなゐ)」とは、紅(くれない)の濃い色、鮮やかな紅色のことです。秋が深まったころの光景でしょう。この歌はもう一通り解釈ができます。「くくる(=絞る)」を「絞り染め」ではなく、「くくる(=潜る)」ととるのです。すると、
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さまざまな不思議なできごとがあったという尊い神代の昔にだって聞いたことがない。龍田川が散り浮かんだ紅葉で濃い紅色に染まり、その美しい紅葉をそのままにしておきたいので、川の水が下を潜って流れていくということは。
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倒置法になっていますから、2句目で区切って前後を入れ替えて読むと、意味がはっきりしてきます。
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