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96 入道前太政大臣
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承安元(1171)年〜寛元二(1244)年。入道前太政大臣というのは役職名のようなもの。前の太政大臣で出家(入道=道に入る。つまり出家のこと)された方くらいの意味です。本名は藤原〈西園寺〉公経(ふじわらの〈さいおんじ〉きんつね)。西園寺家の祖。この人物が京都北山に建てた邸を、のちに足利義満が譲り受け、別荘に改築したのが有名な金閣寺です。『百人一首』を編纂したといわれる藤原定家のいとこで、姉は定家の妻でした。
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源頼朝の姪を妻としていたことが、彼の運命を左右しました。承久の乱で後鳥羽院が挙兵した時は、鎌倉側だとみなされて幽閉されつつも、スパイ的な存在であったとか。一時は命も危なかったようですが、乱が鎮まり幕府の勢力が強くなると、頼朝の血を引く子の父親だということで太政大臣(太政官制で最高の地位)にまでなり、栄華を極めました。
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歌のほうですが、激しい人生の浮き沈みを体験した者が、我が身の老いに思いをはせたものです。
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春の嵐が桜を誘い、庭一面に雪のように花びらを「ふり」散らすけれど、「ふる」くなっていくのは実は私なのです。
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桜の花が散るのを見ると「ああもったいない」「もう少し咲いていてくれたらいいのに」などとその時期を少しでも遅らせたく思うものですが、自分の「老い」を少しでもおしとどめたく思う気持ちと、どこか共通するものがあるものなのでしょう。かなわぬ願いと知りながら……。
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