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「『古典』と『和菓子』だって?もう、いや!」と逃げ出さないでください。想像とおいしさとちょっぴり恋の世界を味わって頂きたいだけですから。百人一首の和歌を読んで私たちなりに解釈し、イメージを膨らませて作ったのがここにご紹介するお菓子です。和菓子の世界には、和歌や物語を元にして想像力を働かせ、作品に表現するという楽しさや遊びがあるのです。このページを通して、日本の良さを見直して頂けたらうれしく思います。 |
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お菓子の名前「春更く」は「はるふく」と読みます。「更く」とは古語で、ここでは「季節が深まる」という意味です。
衰えとむなしさを現すのに桜の花を強調しすぎないように、落ち着いた色合いの小豆蒸し羊羹で表現し、さらに、桜の焼き印を押し、散る花の様子で老いの悲しみを表現してみました。
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9 小野小町(おののこまち)
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絶世の美女だったと伝えられます。平安時代初期の人ですが、人明(にんみょう)天皇(在位 833〜850)や文徳(もんとく)天皇(在位 850〜858)の頃に宮仕えをしていたことくらしいか、はっきりしたことは分かっていません。「六歌仙(ろっかせん)」や「三十六歌仙(さんじゅうろっかせん)」という歌詠み名人に名前を連ねています。
「あきたこまち」といえば、お米の名前で有名になってしまいましたが、そもそもは、色白の秋田美人を表わす言葉です。「こまち」というのは「小野小町」が美人だったといわれることから、美しい人のことを「小町娘」というところから来ています。
『古今和歌集』に残るいくつかの歌から、恋にまつわる伝説も多く、中でも深草少将(ふかくさのしょうしょう)の「百夜通(ももよがよ)い」は有名です。100日間毎晩私のところに通ってきたら、あなたの思いが本物だと信じて愛を受け入れましょう。と小町が言ったので、少将は雨の日も風の日も欠かさず通い続けましたが、99日目の晩に彼が亡くなってしまったとか。どこまでが本当なのか分かりませんが……。
和歌の方は、
花の色は移り変わって色あせてしまったわ。春の長雨が降って私がやたらと物思いにふけっている間に。
一般に、わが身の容姿の衰えを嘆く歌だという解釈もありますが、実際、美しい人であっても、そんな内容の歌を作るでしょうか。最初に書いたように彼女に関する記録がほとんど残っていないので、美人だということも、恋愛に関する伝説も、すべて、彼女の残した歌を解釈する上で出てきたことなので、どこまでをどの程度信用していいのか迷います。でも、だからこそ、歌の作られた背景を自由に想像することができ、いろんな伝説ができたり、能の題材になったりもするのでしょう。ただひとつ確実に言えるのは、小野小町という人は、恋する女性の胸の内を、1000年以上後の時代に生きる人々にも通じる感覚で、歌によって巧みに表現しているということです。 |
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