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ようこそ。ここは、コーヒー・フリーク専用のカフェです。
カフェ飯とか、お菓子とか、ワインとかで癒されたい方は、ほかのコーナーへ、どうぞ。
抽出・焙煎のノウハウ、栽培、産地、科学、歴史、伝説、耳寄りな話、ちょっとおいしい話、うわさ話、こわい話etc.……、コーヒーのフルアイテムをとり揃えてマニアックに語ります。コーヒー好きの方なら、プロ・アマ問わず満足していただけると……。 |
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前半で紹介した、妄想に近い仮説・怪説と薬としての使用説に続いて、ここではコーヒー発見話の定番ともいえる三大伝説(私が勝手に命名しただけです)を取り上げ、話の出典と伝播、そして伝説の背景を考えてみます。 |
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第3分野 ―― 3つの伝説
とりあえず三大伝説の概要を紹介しておきましょう。
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山羊飼カルディの発見伝説 |
山羊飼カルディの発見伝説:「アラビアであるラクダ(または山羊)飼が、ラクダ(山羊)が寝ずに一晩中跳ね回っているのに困って、修道士に相談に行った。修道士はその話に興味を持ち、夜にそこに行って観察すると、潅木の実を食べているのに気づいた。その実を持ち帰ってゆでてその汁を飲むと、興奮して眠れなくなる。この効用を知って、夜間の勤行の際に利用することを思いつき、毎日これを飲んで夜の祈りの眠気を払った。このほかの健康への効用も知られるようになり、その地の人々の間に浸透していった」。原型は、こんな感じ。
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シーク・オマルの伝説 |
シーク・オマルの伝説:「モカの守護聖人アル・シャジーリの弟子シーク・オマルは、アラーの教えに通暁していて、モカで流行っていた疫病を祈祷によって癒したが、ある不祥事を疑われ、荒れた山中に追放された。食べるものは草木しかない中で、あるとき美しい鳥の声に誘われて潅木に実っている木の実を見つけた。草木を煮る代わりにその実を煮てその汁を飲むと気分が晴れ、気力がよみがえった。後に許されてオマールはモカに戻り、コーヒーの効用を伝えた(追放中に山中でコーヒーを飲ませて病人を癒していた、との異なった伝承もある)」。13世紀終わり頃の話。長いので、かなりはしょりました。
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シェーク・ゲマレディンの伝説 |
シェーク・ゲマレディンの伝説:「アデン(南イエメンの中心都市)のイスラム律法学者シェーク・ゲマレディンは、アビシニア(現在のエチオピア)を旅し、その地でコーヒーの効用を知った。アデンに戻ったゲマレディンは、体調を崩した際にコーヒーの効用を思い出し、取り寄せて試してみると、気分が晴れ病気は回復した。さらに、彼はコーヒーの覚醒作用に目を着け、イスラムの修道士に夜の勤行に利用することを勧めた。コーヒーの効用は、修道院から眠気を覚ますことが必要な学者、職人たち、暑さを避けて夜旅する商人たちへと伝わり、ほどなくアデン一帯にコーヒーの飲用が広まった」、という逸話。 |
伝説はどこから来たのか
コーヒーの歴史を扱った本に、よく「コーヒーの始まりの伝説は数多く伝えられているが…」と書かれていますが、じつは、ほとんどはこの3つの伝説のヴァリエーションです。
は一般に山羊飼カルディ伝説と呼ばれます。ファウスト・ナイロニが著した『コーヒー論:その特質と効用』というタイトルのラテン語の冊子(1671年刊)で、オリエントの説話として紹介されました。
ナイロニは、レバノン生まれのマロン派のキリスト教徒。ローマでシリア語の教師をしていました。オリエント一帯に流布している説話として、この話を紹介しています。この説話は、フランスのシルヴェストル・デュフールの『コーヒー・茶・チョコレートの用法』(1672年刊)で取り上げられ、また1710年に英訳されるなど、いかにもありそうな面白い話だったからか、速やかにヨーロッパ中に広まったようです。さらに後に尾ひれがついて、様々なヴァリエーションが生れています。
ナイロニの原典では、年代に関する記述はなく、場所はたぶんオリエント、修道士はマロン派のキリスト教徒と考えられ、ラクダ(山羊)飼には名前まだついていません。後のヴァージョンでは、場所はエチオピアやイエメンに移動し、修道士はコプト教徒やイスラム教徒に、ラクダは消え、山羊飼にはカルディという名が与えられました。
アントワーヌ・ガランは、『コーヒーの起源と伝播』(後出)でこの伝説に関して言及し、「オリエントの一部で語られている小話で、良識ある大人が相手にするべきものではない」と切って棄てています。
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アブダル・カディールの写本 |
、は、ともにパリ国立図書館(旧王立図書館)にあるアブダル・カディール著の『コーヒーの合法性の擁護』と題するアラビア語の写本が原典といわれています。この本は1587年に書かれたコーヒーを扱った現存する最古の文献で、15、16世紀のイスラム圏でのコーヒーの広まりと迫害についてのほぼ唯一の情報源、という意味でも重要です。この写本の前書きには、この文献に先行してアブダル・ガファルがコーヒーに関する本を書き、それをもとにして書かれたと記されていますが、アブダル・ガファルの文書は伝えられていません。
まず、ガランが『コーヒーの起源と伝播』(1699年刊)というタイトルで、この文献をフランス語に抄訳。その後、シルヴェストル・ド・サシーは『アラブ文選』(1806年刊)で3章(全7章中、1、2、7章を収録)を収録・翻訳しました。ふたりは、ともにその時代のフランスを代表するオリエント学者で、特にガランは『千夜一夜物語』のヨーロッパへの初めての紹介者として有名です。
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ド・サシー著 『アラブ文選』 |
のシェーク・オマルの伝説は、ド・サシーの『アラブ文選』に収録され、それを元に広まったようです。シェーク・オマルはモカの守護聖人スシャデリの弟子で、自身も聖人としてあがめられています。スシャデリが亡くなったのが1278年ころなので、この伝説は13世紀の後半のこと。ガランはこの伝説を取り上げていませんが、カルディの話と同類の不確実な伝説として、あえて無視したのでしょうか。
、シェーク・ゲマレディンは1470年ころ亡くなったアデンの律法学者。話自体はあまり面白みがなく、それがかえってこの話に真実味を与えています。ガランやコーヒーのバイブルといわれる『オール・アバウト・コーヒー』の著者ユーカースも、最もあてになるコーヒー飲用の始まり、としています。
結論――コーヒーをいつ、どこで飲み始めたのか?
この3つの伝説の共通点として浮かび上がってくるのは、宗教との関わり。いずれの伝説にも修道士(またはイスラム法学者)が登場してきます。このことから、コーヒーはまず宗教集団(イスラムの)で、ことに覚醒作用に着目して使われ始め、ここから徐々に一般に浸透していったと考えられます。特にシェーク・オマル、シェーク・ゲマレディンはスーフィズム(神秘主義的な色彩の濃いイスラムの一宗派)を奉じ、『コーヒーは廻り世界史が廻る』(臼井隆一郎著、中公新書)によれば、スーフィズム教団がイスラム圏へのコーヒーの飲用の広がりに大きな役割を果した、としています。
いつ、どこで、始まったのか? 前回も指摘したように、14世紀初めから半ばにかけてイスラム圏全域を旅し、各地の風俗の詳細を記したイブン・バトゥータの『三大陸周遊記』に一言も触れられていないし、他にもシェーク・ゲマレディンの説話までは、コーヒーの飲用に触れた文献はありません。仮にシェーク・ゲマレディンの説話の以前にコーヒーが飲用されていたにしろ、ごく限られたグループないしは地域だったと思われます。アラビア半島南部のスーフィズムの修道院内部でコーヒーが飲まれ続けていたという可能性は否定できませんが・・・。
結論をいえば、現在の我々が飲んでいるコーヒーのルーツを求めて遡ると、シェーク・ゲマレディンの説話、つまり15世紀半ばのアラビア半島の南西部にいたり、さらに以前のことは不確実、ということです。たぶん、さらに遡れば、紅海をはさんだコーヒーの原産地エチオピアに辿りつくはずですが、それを物語る資料は現れていません。
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コーヒーを愛し、コーヒーを語る カフェ・プロパガンディスト |
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山内秀文
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