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ようこそ。ここは、コーヒー・フリーク専用のカフェです。
カフェ飯とか、お菓子とか、ワインとかで癒されたい方は、ほかのコーナーへ、どうぞ。
抽出・焙煎のノウハウ、栽培、産地、科学、歴史、伝説、耳寄りな話、ちょっとおいしい話、うわさ話、こわい話etc.……、コーヒーのフルアイテムをとり揃えてマニアックに語ります。コーヒー好きの方なら、プロ・アマ問わず満足していただけると……。 |
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チェスのメッカ「カフェ・ド・ラ・レジャンス」のプロフィール |
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カフェ・ド・ラ・レジャンス――もうひとつの18世紀の象徴
カフェ・ド・ラ・レジャンス。カフェ・プロコップと並び称されるフランスのカフェの黄金時代を代表する存在です。レジャンスはプロコップに遅れること2年ほど、1688年ころに開業(1681年との説もある)。前身はカフェ・プラス・ド・パレ・ロワイヤルという店名で、当初はプロコップに比べられるような華やかな存在ではなかったようです。
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レジャンスの店内 |
1718年にルフェーヴルというものが手に入れ、カフェ・ド・ラ・レジャンスと名を改め、シャンデリア、鏡、大理石のテーブルで飾られた豪華なカフェに生まれ変わります。1715年にルイ14世が没し、幼少のルイ15世をルイ14世の弟、フィリップ・ドルレアンが摂政として補佐したこの時代はレジャンス(摂政時代1715~23年)と呼ばれますが、オルレアン公の館の前に建つこのカフェは、その名の通り、時代を象徴するカフェとなります。
レジャンスの立地
オルレアン公の館はパレ・ロワイヤルと呼ばれ、現在のルーヴル美術館の北向かいにあります。カフェ・ド・ラ・レジャンスはパレ・ロワイヤル前の広場に店を構えていました。レジャンスは王宮ルーヴルと王弟の館の間という特別な場所に位置し、さらにパレ・ロワイヤルは、18世紀の後半にルイ=フィリップ=ジョゼフが改築し、テナントとしてブティック、カフェ、レストランなどが入った大ショッピングモールを作り、パリ最大の人気スポットになります。
レジャンスの売り物
プロコップは知識人に談論の場を与えましたが、18世紀の哲学者・知識人も議論のためばかりにカフェを利用したわけではありません。人々にコーヒーなどの飲み物とともに音楽、演劇、ゲームなど気晴らしの場を提供するのもカフェの役割、そして魅力でもあったのです。
レジャンスの名物は、チェス。レジャンスは、いわばゲーム喫茶だったのです。広間(サル)にあった20の大理石のテーブルはチェス(とチェッカー)を楽しむ人々で埋まり、周りを見物人が囲んでいたようです。
チェスはインドで生まれたゲームで、中世にヨーロッパに広まり、ルネッサンス以降、特にスペイン、イタリアで盛んだったようです。フランスでは「理性の世紀」にふさわしい遊び?として18世紀に貴族・知識人の間で爆発的に流行し、カフェの多くはチェスができるスペースを提供していました。その中心的存在がこのレジャンスでした。
プロコップは百科全書派に集会所となり、「知の交流空間」の役割を果たしていたとすれば、レジャンスはチェスという遊戯を通して知の交流の場を提供していたといえるでしょう。
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レジャンスでのチェスの風景(19世紀後半) |
レジャンスの顧客
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レジャンスを舞台にした ディドロの小説 『ラモーの甥』の挿絵 |
ヴォルテール、ディドロ、ダランベール、ジャン=ジャック・ルソーなどプロコップとほぼ同じ顔ぶれも。ただし、主にチェスをやったり、見物したりするためで、利用目的が違っていたようです。チェスが店の目玉なら、客としての主役は、レガル、フィリドール、マイヨなどのチェスの名手たちということになるでしょう。
中でも、1740年ころにレジャンスに登場したフランソワ=アンドレ・ダニカン・フィリドール(著名な音楽一族の出で、現在でもその作品が演奏されるほどの作曲家でもある)は、瞬く間に当時最高の名手とされていた師レガルを凌ぐほどの実力をつけ、世界最高のチェスプレーヤーと謳われて、ある意味レジャンスの象徴的存在となりました。
常連客の作家ルサージュは、レジャンスを「沈黙の神殿」と呼び、プロコップは談論が、レジャンスは沈黙と緊張が支配した、と述べています。
レジャンスのその後
18世紀を通じてレジャンスは名声を保ちます。18世紀末にはパレ・ロワイヤルの改装が完成し、パリ最大の繁華街になったこともあって、パリの名所の一つになっていました。レジャンスの客にはフランクリン、ヨーゼフ二世、ナポレオンの名もあげられています。大革命時、ジャコバン党の会合の合間に革命の指導者ロベスピエールも気晴しにチェスを指しに訪れたといわれますが、彼が現れると首が落とされるのを恐れて、客はカフェ・ミリテール(同じくチェスで有名なカフェ)に逃げていったとの逸話も。
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移転後のレジャンス |
19世紀に入るとフランスではチェスの人気は衰え、カフェでのゲームはビリヤードやチェッカーへと移りますが、ひとりレジャンスの名声は保たれます。1858年にルーヴルの改築にともない、サン=トノレ通りに移転しましたが、ヨーロッパ中からチェスの愛好家が訪れ、また、たびたびチェスの選手権の会場ともなっています。
19世紀末からはさすがに徐々に名声も衰え、1894年にレジャンス最後のチェスの選手権が行われたのちはチェスの客も離れてゆき、1910年に閉店。レストランに改築され、カフェ・ド・ラ・レジャンスの歴史は幕を閉じました。
レジャンスが2世紀にわたってチェスのメッカとして存続していたことでも解るように、カフェとは人々に交流の場を提供する装置で、コーヒーはその媒介のひとつという役割。レジャンスでは、チェスに夢中になって飲み物を頼むのも忘れた客(意図的?)も多かったとの記述もあります。
次回も18世紀を代表する様々なスタイルのカフェを採り上げます。
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コーヒーを愛し、コーヒーを語る カフェ・プロパガンディスト |
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山内秀文
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