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これからしばらくは、コーヒーの生豆をテーマに取り上げます。食材としてのコーヒーの品質を考えるのが主な目的ですが、今回はコーヒーがどこから来て、どう伝わっていったのか、これをコーヒーの性格を根本的に規定する種、品種の問題と絡めて話を進めてゆきます。まず、最初の道は故郷イエメンのモカからカリブ海まで。ティピカ種の旅。 |
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始まりの話 植物学的に、えらそうに説明すると、コーヒーノキはアカネ科コフィア属の常緑の喬木。コフィア属には20以上の種(シュ)がありますが、原産地はすべてアフリカ(含むマダガスカル)です。コフィア属の中でまず人類が飲料として利用したのが、アラビカ種。原産地はエチオピア高原(アビシニア高原)とされています。ここが種としてのコーヒーの故郷です。
いつごろコーヒーを飲み始めたのかについては、妄想に近いホメロスの「イーリアス」に出てくるネペンテスから、そんなこともあるかと思わせるイスラムの名医ラーゼス、アビセンナの著作に登場するブン(豆)、バンカム(その煮汁)に至るまでさまざまな説がありますが、いずれも証明不能。15世紀の半ばにアラビア半島の南部で飲み始めたのが、現在に繋がるコーヒー飲用の歴史の始まりです。古いといえば古いけれど、紀元前から飲まれていた茶やチョコレートに比べれば、歴史の浅い飲み物ともいえます。
飲用の始まりとほぼ同じころに、イエメンの山岳地帯でコーヒーの商業的栽培も始まったと思われます。このイエメンの山岳地帯こそ、もうひとつのコーヒーの故郷。始まりから連綿と栽培され続けているのが、「モカ」です。 |
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モカを巡って モカとはイエメンのかつてのコーヒーの積み出し港の名。イエメンの山岳地帯で収穫されたコーヒーはモカに集められ、イスラム諸国、ヨーロッパへと輸出されていきました。15世紀半ばから18世紀初頭までの250年間、コーヒーの栽培はほぼイエメンが独占(および対岸のエチオピア)、この間はコーヒーとは、すなわちモカだったのです。17世紀後半のロンドン・コーヒーハウスの全盛時代、パリの「カフェ・プロコップ」、ヴェニスの「カフェ・フロリアン」、ウィーンのコルシツキーの店、当然のことながら、みなモカのコーヒーを使っていたわけです。
250年といえばコーヒーを飲用している期間のほぼ半分。モカがコーヒーの味・香りの判断基準に、潜在的に大きな影響を与えていると考えられます。 |
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モカからカリブ海へ(ティピカ種の道)
独占状況を維持するために、イエメンからの苗木の持ち出しは厳しく禁じられていましたが、17世紀なかばにオランダが苗木をイエメンから持ち出し、スリランカへの移植に成功。この苗木をジャワに持ち込み栽培を始め(1699〜)、18世紀前半には生産量でモカを圧倒することになります。このモカから持ち出されたコーヒーの苗木が、現在でも栽培されている優良品種ティピカのルーツです。
ティピカの苗木がカリブ海にもたらされた経緯は一本の糸で結ばれます。オランダがジャワからアムステルダムの植物園に移植(1706)→オランダが植物園で育成した苗をルイ14世に献呈し(1714)、パリ植物園で栽培→パリ植物園の苗木をドゥ・クリューがカリブ海のマルチニック島に移植(1723)、そしてこのコーヒーがハイチ(1730)を初めとするカリブ海(18世紀前半)、中南米一帯(ブラジルを除く)へと広がっていったのです。
ティピカは栽培効率が悪く、1970年ころから他品種への移行が進みましたが、近年、高級コーヒーの市場を睨んで、再びティピカにもどる農園も増えています。ティピカはふつう大粒で細長い舟形。ハイチ・ドミニカ、キューバなどカリブ海のコーヒーは典型的なティピカ。ジャマイカのブルーマウンテンは、その頂点(値段も)を示しているコーヒーといえるかもしれません。 |
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イラスト:加藤利以地(「コーヒー小辞典」(伊藤博著、柴田書店刊) 生豆提供:バッハ・コーヒー |
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