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発酵パンが最初につくられたのは、古代エジプトと言われます。その後古代ギリシャ・ローマを経てヨーロッパ各地に広まり、さまざまなパンが生まれました。
このコラムでは、家庭でおいしく焼ける世界のパンと、それにぴったりの料理を合わせて紹介します。焼き立てのパンのおいしさを、朝食に限らず一日のいろんな場面でもっと味わってみてください。 |
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ギリシャからローマへ引き継がれた製パン技術は、その後、さらに発展することとなります。
この時代、パンの品質は製粉技術の進歩とともに向上していきました。小麦を粉にするため、石を前後あるいは左右に運動させていたものを、回転運動によって石臼を動かす技術が発明されると、奴隷の力に頼っていた製粉作業が動物を利用して行われるようになり、上質な小麦粉をより大量に手にすることができるようになりました。
また、篩(ふるい)が作られ、ふすまを除く技術が発達すると、パンの品質は格段に向上します。紀元79年の火山噴火で埋没したポンペイの遺跡には風車、石臼やかまど、パン屋を描いた壁画などが残されており、この時代の製パン技術の水準がかなり高いものだったことがわかります。また、穀物やパンの配給制度が実施され、大量のパンを生産するためのパン屋の数は数百にものぼり、組合が作られ、必然的に製パン技術は専門的になっていったと思われます。
その後、3〜4世紀頃になるとローマ帝国は政権がめまぐるしく変わり、内乱や民族の大移動の影響で混乱し始めます。不安な世情のもと、商業も発展せず都市生活者も農村部へと戻らざるを得ません。今まで粉挽きとパンの製造を兼ねていた店が、郊外で水車を使って小麦を挽く粉屋と、都市部でパンを製造して売るパン屋にわかれていったようです。
その後、ローマ帝国の東西分裂を経て、5世紀後半に西ローマ帝国が崩壊すると、いよいよ専門的なパンの製造はなくなり、必要分を各家庭で作るだけになってしまいました。エジプトからギリシャ人によって受け継がれローマに広められた製パン技術はここで一旦、その発展が止まることになります。しかし、4世紀後半にローマ帝国の国教となったキリスト教が次第に大きな力を持つようになると、食料補給のためのパン製造所をもった修道院があらわれ、その技術を継承してパンとの新たな関係を築いていくことになります。
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その起源は古代ローマにまでさかのぼり、ピッツァの原型ともいわれるフォカッチャ。日本のパン屋やレストランでもよくみかけるようになりましたが、当時のフォカッチャは現在のものとは違って、平たい無発酵パンだったようです。トッピングはオリーブ、ローズマリーなどお好みで。生地に混ぜ込んで焼くこともあります。
このフォカッチャには同じローマ地方の郷土料理サルティンボッカを合わせてみました。生ハムとセージの風味がアクセントとなって、フォカッチャとの相性は抜群です。 |
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