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連載コラム パンのきた道
発酵パンが最初につくられたのは、古代エジプトと言われます。その後古代ギリシャ・ローマを経てヨーロッパ各地に広まり、さまざまなパンが生まれました。
このコラムでは、家庭でおいしく焼ける世界のパンと、それにぴったりの料理を合わせて紹介します。焼き立てのパンのおいしさを、朝食に限らず一日のいろんな場面でもっと味わってみてください。
ドイツのブレッツェル  〜ローマからドイツへ〜
イタリア・ドイツ地図紀元前55年頃、レーヌス川(ライン川)は、ゲルマニア(現在のドイツ)とガリア(現在のフランス、ベルギー、オランダなど)との境界線になっていました。ゲルマニア人はライン川を渡って風土豊かなガリアへ移住を図ろうとし、ガリア征服途中のカエサル率いるローマ軍はゲルマニアとの境界線を北のエルベ川までのばし、領土の拡大をもくろみます。ローマ軍はゲルマニアとの戦いにこの後20年ほどを費やしますが、結局レーヌス川の右岸には侵攻できずに終わってしまいます。しかし、両者の攻防によってこの川沿いは政治的にはもちろん経済的にも文化的にも重要な地域となり、やがて防衛を目的としたケルン、ボン、マインツ、ストラスブールなどの都市が生まれるのです。
当時のゲルマニアにはパンのようなものはあっても、ローマの洗練された発酵パンはなかったと思われますが、境界線付近では頻繁に民族の移動があり、紀元4世紀あたりにはパンの作り方は伝わっていたと考えられています。
ゲルマニアを征服することはできなかったローマ軍ですが、ガリアを手中におさめ、紀元2世紀初めには、ゲルマニアから北を除くヨーロッパのほとんど、中近東、北アフリカ、イギリスの大部分を領土する大帝国になっていました。


ブレッツェルブレッツェルは現在もドイツではパン屋のシンボルとなっているほどポピュラーなパンですが、その名前や形に数百年の謎を秘めており、起源はローマ時代あるといわれています。ローマ時代から中世まではリング形、9世紀からは次第に現在の形に近いものが、キリスト教徒の夕食のパンとして用いられてきました。10世紀の修道院では祝祭日、とりわけ四旬節の夕食の食べ物であったそうです。
ブレッツェルの表面の独特の照りは、掃除に使用していたアルカリ液に誤って落としてしまったとか、甘いシロップに漬けるところを間違えてアルカリ液につけて焼いたなどの逸話が残っています。今回はアルカリ液には浸さないタイプのものをつくります。塩味のあるブレッツェルとは抜群の相性、ドイツの代表的な料理ザウアークラウトもあわせてご紹介しましょう。


このコラムのレシピ

コラム担当

レシピ ブレッツェル
レシピ ザウアークラウト

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