杉山 | 今は情報過多だっていったけれど、ある意味でいうと現代の料理人ってかわいそうな面がありますよね。フランス料理が文化だとしたら、文化をつくり上げていくには時間がかかるじゃないですか。その時間が現代はなくなったっていうか。昔は一つのスペシャリテがあれば20年、30年それでやっていけた。トゥール・ダルジャンの鴨のオレンジ煮みたいにね。それがあってこそ文化になり得ると。そういうことは感じますよね。 |
水野 | そう、ボキューズの店でいうと、スズキのパイ包み焼きなんかは連綿と続いているわけだし、トロワグロのところも、ソモン・ア・ロゼイユっていうのがある。これは魚をほんとにさっと表面だけを焼いて、おいしいソースをかけてという、1970年代の初めに話題になった新しいフランス料理のスタイルのはしりになった料理だけど、今でもメニューにあります。 |
杉山 | ボキューズとかトロワグロもピラミッドで修業したんですよね。ポワンがフランス料理の簡素化とか単純化の道を開いたといいますが。 |
水野 | そうですね。ちょっとさかのぼるんですが、フランス料理の歴史でいうと19世紀末から20世紀の初めにまず、エスコフィエが現れて、フランス料理が大きく変わりましたね。現在のフランス料理の基礎つくった人と言っていいんじゃないですか。エスコフィエは、古典的な料理をまとめてきちんと整理して、さらにそこから新しいレシピをたくさんつくって本にしてます。彼のおかげでフランス料理の幅がすごく広がった。料理そのものをおいしく味わってもらおうという考え方で、新しい時代に合うようなシンプルなメニューの組み立て方を考えたり、調理場の仕組みを工夫したり、エスコフィエの功績は大きいです。 |
杉山 | 料理を一品ずつサービスしていくやり方がほんとうに定着したのも19世紀の後半ですよね。それまでは、宮殿とか貴族のお屋敷の晩餐(ばんさん)会だと、とにかくいろいろな料理の品数がいっぺんに出てきて、飾り付けがいっぱいしてあるようなのがよかった。でも時代が変わっていって、量より質が大事になったんですね。エスコフィエはホテルで働いた人だけど、当時レストランではパリのニニョンの店が評判でしたよね。 |
水野 | そうね。ポワンはその後に出てきた人なんです。それで、エスコフィエやニニョンと、ポワンの料理を比較したいこともあって今回ピラミッドをとりあげてみたんですよ。エスコフィエはホテルを中心に働いていた人ですから、料理は、一度にたくさんのお客においしく出せるつくり方になっているような、そういう部分が見えてくる気がします。 今回のポワンの料理でも、もしホテル対応で20人30人前を一度につくるのだったら、前もっておいしいソース・シャンパーニュをつくっておいて、あとから火を通した魚とドッキングさせていかないと。大量のソースをつくっている間に、魚の状態がどんどん変わっていってしまいますから。 料理の工程がまったく違ってくるんですね。エスコフィエの本は、その点ホテルのシェフがつくる工程で本をまとめているという印象です。魚料理でもヴルーテで仕上げるソースを使っています。 |
杉山 | ヴルーテは粉をバターで炒めてルーをつくり、そのルーをフュメで溶き伸ばしてつくるソースですね。 |
水野 | それにバターを入れるとか、卵黄を入れるとかしてソースを仕上げて、別に火を通した魚にかける。ということはソースが用意できていて大勢の人数に対処できる。ポワンは客の注文に応じて、魚に火を通して、次にその煮汁を煮詰め、生クリームを入れオランデーズを加えてグラッセする、一連の流れになっています。つくり置きしないで、材料から仕上げる。 |
杉山 | その時その時で仕上げていくわけですね。エスコフィエの場合はリッツの料理長ということで、ビュッフェだとか、パーティなんかで大勢のお客に一度に提供するための料理を、現代フランス料理に確立していった。ポワンはそれと対極にあるといえますね。 |
水野 | ニニョンの書いた『フランス料理讃歌』という本を見ると、ソースをオランデーズで仕上げるのが顕著に現れてきてるね。エスコフィエからニニョン、ポワンとくるにつれて、粉を使ったしっかりしたソースが消えて、生クリームを使った、当時としては軽い料理に変わってきている。 |
杉山 | たしかにフランス料理を築いたエスコフィエから現在まで見て、つくられてきたソースの変遷を抜きには歴史を語れないところがある。エスコフィエのころ王侯貴族対象の、ホテルの中の料理、そこからニニョン、ポワンはレストランの時代へ変わってきたのが見えてきませんか。 |