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「『古典』と『和菓子』だって?もう、いや!」と逃げ出さないでください。想像とおいしさとちょっぴり恋の世界を味わって頂きたいだけですから。百人一首の和歌を読んで私たちなりに解釈し、イメージを膨らませて作ったのがここにご紹介するお菓子です。和菓子の世界には、和歌や物語を元にして想像力を働かせ、作品に表現するという楽しさや遊びがあるのです。このページを通して、日本の良さを見直して頂けたらうれしく思います。 |
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艶ふくさの生地で、山の風が荒らす秋の草木を表わし、焼印でつける焼き色で、木が古くなって枯れる様子を表現しました。
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22 文屋康秀(ふんやのやすひで)
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平安時代の歌人です。生まれた年も亡くなった年もはっきりしませんが、37番の歌の作者文屋朝康(ふんやのあさやす)の父親といわれます。六歌仙(ろっかせん)とか三十六歌仙(さんじゅうろっかせん)という歌詠み名人に名前を連ねていますが、彼の歌はあまり残っていません。官位は六位だったといわれますから、それほど高くはないのですが、皇太子妃であった高子(たかいこ)に仕えました。同時に仕えた者として在原業平(ありわらのなりひら=17番の歌の作者)や素性法師(そせいほうし=21番の歌の作者)がいました。彼らは歌人として大変有名な人達ですから、康秀もそれなりの実力があったのだとは思われます。
歌の意味は
吹くとすぐに秋の草や木が荒らされてしおれてしまうので、だからなるほど、山風を「嵐(あらし)」というのだな。
という言葉遊びの歌です。山+風で嵐という漢字になるというだけでなく、草木を「荒らす」ので「あらし」というのだという意味も含まれています。
実はこの歌は息子の朝康が作ったのではないかという説があり、現在ではこの説の方が有力となっています。康秀が同じ情景を歌ったとしたら、一体どんな歌になっていたでしょう。
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