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小泉 敦子さん 「Restaurant SUR-MESURE par Thierry MARX (シュール・ムジュール・パール・ティエリー・マルクス)」

卒業生レポート

2015.04.17

小泉 敦子 KOIZUMI Atsuko
エコール 辻 東京 辻フランス・イタリア料理マスタカレッジ 1997年3月卒業
フランス校 シャトー・ド・レクレール フランス料理研究課程 1997年 春コース卒業
研修先:Jean BROUILLY(ジャン・ブルイィ)<ローヌ・アルプ地方>
Hotel Mandarin Oriental Paris ホテル・マンダリン・オリエンタル・パリ
Restaurant SUR-MESURE par Thierry MARX (シュール・ムジュール・パール・ティエリー・マルクス)
セカンド・シェフ
251 rue Saint-Honore, 75001 Paris
http://www.mandarinoriental.co.jp/paris/

 

 

『すべては自分に返ってくる』

   

2011年、世界屈指の高級ブランドエリアであるサントノレ通りにオープンした5つ星ホテル「マンダリン・オリエンタル・パリ」。ここの魅力のひとつは、なんといってもホテルに併設された2ツ星レストラン「シュール・ムジュール」だと言えます。いまやテレビをはじめ各メディアで大活躍の人気シェフ、ティエリー・マルクスThierry MARX氏のもとで、セカンド・シェフとして活躍する女性料理人・小泉敦子さんにお話しを聞きました。

 

 

 

■ 現在の役職に至るまでの経緯を教えてください。
フランス校から帰国して、日本のフランス料理店で合計10年経験を積みました。
最初のお店は築地にある小さなフランス料理店でした。そこで当時シェフを務めていたフランス校の先輩でもある現(株)サンカラリゾートホスピタリティの統括総料理長・武井千春シェフと出会いました。
武井シェフが「ミクニ・マルノウチ」のシェフに就任するタイミングで一緒にお店を移り、計7年、武井シェフからは本当に多くのことを学ばせていただきました。
同じフランス校卒業生ということで、最初からフランス語の単語でガンガン指示されたのを覚えています(笑)
その当時、マルクスシェフが「ミクニ・マルノウチ」で日本で初めてのフェアをされたんです。
なにかのタイミングでマルクスシェフに「フランスで働きたいから労働ビザを取って欲しい」と直談判したんですが、いま思うと、とんでもなく失礼で図々しいことをしたなと思います・・・(汗)。
もちろん簡単にビザがおりるはずもなく、紆余曲折を経て、その数年後にようやく当時マルクスシェフが料理長をつとめていたボルドー地方ポイヤックの「シャトー・コルデイアン=バージュChateau Cordeillan-Bages」でフランス生活を始めることになりました。
そこではコミから始めましたが、2年目にはポワソンを任されるようになりました。毎週の試作などもマルクスシェフやM.O.F.のジャン=リュック・ロシャJean-Luc Rocha氏に見てもらい、色々とアドバイスなどをいただきました。
そして、マルクスシェフが「マンダリン・オリエンタル・パリ」のシェフとして招かれたのをきっかけに、2011年6月、私もオープニングスタッフとして採用してもらい、以来、現在のポジションで働いています。

 

 

 

■ 現在のお仕事の内容を教えてください。
毎日のレストランの厨房運営や仕込みはもちろんですが、新しい料理の試作、
新商品の開発、発注業務も行います。さらに今のポジションは、若い料理人たちを育てるポジションでもありますので、フランス人の若い社員や各国の研修生など、後輩へアドバイスなども重要な仕事です。
さらに、シェフのメディア関係の仕事に絡んだ撮影準備などが加わります。
時々「マルクスシェフを支える日本人女性シェフ」と言われ、気恥ずかしいですが、厨房にはもう一人、日本人の女性スーシェフがいます。ほかにも同じフランス校卒業生の女性料理人をはじめ、日本人のスタッフがたくさんいます。
日本通で知られるマルクス氏は日本人の仕事ぶりや気配りを非常に評価していて、優秀であれば人種も性別も関係なく評価してくれます。

 

 

 

■ 現在のお店の料理の特徴やスぺシャリテは?
ポイヤックのお店と違って、パリは客層もお客様が求めていることも全く違うので、とてもシンプルです。基本は地産地消。ただその中に、日本料理のテクニックだったりエッセンスを隠し味として使います。
シェフは「キュイジーヌ・モレキュレール(分子料理)」の第一人者としても知られていますが、現在は化学的な試みと伝統が融合した料理に仕上がっていると思います。つくる人も、食べる人にも驚きがある、そんな料理です。

 

 

 

■ 日本の職場で学んだこと、そのときに思ったことを教えてください。
日本での修業時代にまずは学んだのは(笑)、タフでいるということ。これは精神的にも言えますが・・・。
あとは「すべては自分に返ってくる」ということ。
正直、この業界は勉強してもしなくても誰も困りません。毎日の業務さえこなせていれば怒られることもあまりありません。しかし、多くの人と働いて強く思ったことは、「マシーンコックにはなるまい」ということ。
きつい表現ですが、私が体験してきた日本のレストランの仕事は決して楽なものではありませんでした。
日々の作業に埋もれてしまうと、「考える力」が消耗されます。頭のどこかで冷静でいなければ、単なる駒でしかなくなってしまう、私は、それだけは避けたいと常に思っていました。
また、出会いは大切です。短期間でお店を移っていては何も吸収できません。ひとつの職場である程度の人間関係を築けなければ、良い出会いも逃してしまいます。
私も人と人のつながりが招いた縁で、いまフランスで働いています。

 

 

  

■ フランス校での思い出と、再び渡仏しようと思ったきっかけを教えてください。
フランス校での生活はなにもかもが新鮮で楽しかったです。
その後のスタージュはもちろん、学校のように気楽なものではありませんでした。
フランス語と格闘しながら、必死で仕事をする毎日でしたが、そんな中、クリスマスに実家に帰らないスタッフたちだけでパーティをしたのをいまでも覚えています。
あとは、お休みの日に、むりやり小旅行をしていました。いまみたいにインタ―ネットもスマートフォンもなかったので時刻表とにらみ合いながら(笑)。今でも旅は好きですね。

仏校のスタージュ終わったときには、すでにまたフランスに来たいと思っていました。
研修中は何も店の役に立ってないのは自分でもわかっていました。
ただ、日本で経験を積み、力をつけたら、フランス人と同じ労働環境で勝負してみたい、と考えていたので、手当しかもらえない研修やワーキング・ホリデーは考えていませんでした。同じ給料、同じ言語で仕事してこそ、だと思っていましたので、そういう意味では最初の目標はクリアしたのかな、とは思います。

 

フランス校の後輩のために、講師としてデモンストレーションにも来てくれました。

  

 

■ 料理人としてのやりがい、大切だと思うことは?
やりがいはやはり、お客様の反応が良かったときです。
直接私がお客様とお話しする機会は少ないですが、サーヴィスのスタッフがコメントなどを伝えてくれると、とても嬉しく感じます。「お皿の向こうに必ずお客様がいる」と思って仕事をすることが重要だと思っています。
特に厨房にいると、独りよがりな自己満足に陥りがちになります。果たしてこれで表現したいことは伝わっているのか?食べやすいか、適切なサイズか。お客様の顔が見づらい厨房だからこそ大切にしたいです。
そういったご意見に柔軟に対応できる思考も必要だと思います。

 

■ 今後の目標は?
今働かせて頂いている環境は素晴らしいものです。
しかし2番というポジションに甘んじるつもりもありませんし、規模ゆえに難しいこともあります。
もっともっと生産者さんと直接繋がることのできるようなお店を目指して、シェフになることも考えています。

 

 

■ フランス校に進学する後輩たちへ
できるだけ言葉を勉強してきて下さい。この10年で時代は大きくかわり、料理にカテゴリーは無くなりつつあります。世界中から研修生が来ています。フランス語はできなくても英語・スペイン語はみなペラペラです。
そんな中、なにもコミュニケートできない状態の人間に用事を頼む人はいません。言葉はできて損はないです。
フランス校で学んで、その後スタージュを目標としているなら、まずは技術よりも言葉が大事だと、特に最近痛感しています。
とはいえ、今でこそこんな偉そうなこと言っている私も、まったくできなかった人間のひとりでした。
もっとできたらもっと解りあえたのに、と思うことがたくさんあったからこそ、いまみなさんに言葉の重要性をお伝えしたいと思います。
また、女性だから無理、ということはありません。体力は必要ですが、女性料理人への信頼度は年々高くなっています。女性にもどんどんがんばってほしいと思います。