藤田 怜美さん「京菓子司 亀屋良長」
藤田 怜美さん Fujita Satomi
辻製菓専門学校 2003年3月卒業
シャトー・エスコフィエ 製菓研究課程 2003年 春コース卒業
研修先: A la Jaysinia (サヴォワ)
店名:京菓子司 亀屋良長
京都府京都市下京区四条堀川東入ル(醒ヶ井角)
℡075-221-2005
http://kameya-yoshinaga.com/
http://kameya-yoshinaga.com/sweets_satomi_fujita.html
『自分のお菓子を食べた人の笑顔、それは何よりのやりがい』
今、京都の和菓子職人として、注目されているフランス校卒業生がいます。
彼女の名前は藤田怜美さん。
"洋菓子職人から和菓子職人へ"という異色のキャリアを持つ藤田さんは、
2003年に辻製菓専門学校を卒業後フランス校へ進学し、
アルプス地方のショコラティエで研修をしました。
帰国後は東京にあるフランス校卒業生のレストランのパティシエ部門で勤務した後、
2005年に再度渡仏。
2ツ星レストラン数軒で修業を積み、シェフパティシエとしても活躍しました。
2008年にはフランスのデザートコンテストに出場し、堂々の4位入賞。
着々とパティシエールとしてのキャリアを重ねていましたが、
2010年パリの和菓子研究会に参加した際に和菓子の魅力に衝撃を受け、
5年のフランス生活にピリオドを打ち帰国。
その足で京都に向かい、「亀屋良長」で和菓子職人として働き始めました。
現在は、藤田さんの洋菓子の経験と創業200年余りの伝統を誇る「亀屋良長」の
和菓子が融合した新ブランドの商品開発を担当し、精力的に活躍されています。
まだ28歳という若き和菓子職人ですが、彼女が作り出す和菓子は斬新で想像力豊かで、
思わず一度口に入れてみたくなってしまうものばかり。
TVやマスコミにも多数紹介され、各方面から注目されている藤田さんに
フランス校時代を振り返っていただきました。
外観:お店の看板には創業200年の重みが感じられます
■ これまでのキャリアにおいて、嬉しかったことと苦心したこと
嬉しかったことは、フランス時代に雑誌でしか見たことのなかったシェフにデザートをほめられたことです。
苦心したことは、シェフ時代に毎日季節に合うデザートを考え、メニューを変えなくてはならなかったことです。
店内は老舗らしい落ち着いた雰囲気
■ 洋菓子から和菓子職人に変わった理由は?
これまでヨーロッパの最先端と言われるデザートやパティスリーを見てきましたが、
和菓子の講習で受けた感動は衝撃で、すぐに「これをやりたい!!」と思いました。
■ 洋菓子と和菓子の大きな違い、そして和菓子職人に変わったことで感じた苦労と面白さ
生菓子を例に挙げると、季節感を出そうとすると洋菓子はその季節のフルーツを使い、味や香りで表現しますが、
和菓子の場合、味は同じ餡であってもその小さな菓子の中に自然や花、風物を映し取り、色や形で表現します。
そこが大きく違うところであり、和菓子の面白さだと思います。
苦労したことは、日本の風習や行事などの知識が足りなかったことです。
和菓子を作る上では基本的に必要となることなので、必死に勉強しました(笑)
和菓子の製作現場にもお邪魔しました
■ 菓子職人としてのやりがい
お客さんでも知り合いでも、自分が作ったものを食べた人が笑顔を見せた時です。
■ 今後の目標
まわりに流されず、誰もがおいしいと言ってくれるようなお菓子を作りたいと思っています。
■ フランス校で得たもの
フランス校のキャメラ先生は足の先から頭まで真っ白で、どれだけ動いてもダスターさえ汚れていませんでした。
それほど徹底した「清潔」はお菓子を作るうえでとても大切なことと身をもって教えてくれていたように思います。
私も常にそれを思い出して、キレイな仕事をするように心がけています。
■ 今も記憶に残るシェフの言葉
オーブン係をやっていた時、キャメラ先生が「パティシエ、熱くない!」と何度も言っていました。お客様に温かいパンやお菓子を出すためにも、パティシエは熱いものでもオーブンから速やかに取り出さなければならないことを学びました。何よりもお客様が食べる、ということを第一に考えることは洋菓子も和菓子も同じことだと思います。
シャトー・エスコフィエにて
キャメラ先生(左)とキュドネック先生(右)
■ フランス校・スタージュ(実地研修)において印象に残っているエピソード
スタージュ先は駅がある町までバスで1時間半山越えをしなければ行けない所で、
ある日、町からのバスに乗り遅れてしまい夜9時から朝4時まで歩いて山越えし、
そのまま仕事をしたことです。。。
■ 卒業して思うフランス校・スタージュの一番の魅力は?
フランスの食材を使い、フランスに住んで、お菓子三昧の楽しい日々でした。
それは、日本で同じことを学んでも絶対にわからないと思います。
フランスでの経験のすべてが現在に繋がっています。