「あらためて思う、おいしさとは何なのか」(調理師本科キャリアクラス)
こんにちは。調理師本科キャリアクラスの鶴見佳子です。
辻調で受ける最後の試験、後期期末試験が無事終了しました。
筆記科目の試験時間は85分あるのですが、ギリギリ終鈴の数分前まで格闘した科目が2つあり、難しさは半端じゃなかった!
問題の作り手である先生方もお疲れさまでした〜、と思えるのは社会生活を経験したキャリアクラスの生徒ならではかもしれません。
勉強であれ趣味であれ、私の目標はいつも「自己ベスト更新」です。100 点満点でなくても、前回の記録を更新できていればよし、と考えます。
その意味で、前期より後期の方が平均点で4点分、自己ベストを更新できたので、もう上々です。50代最後の1年がこんな日々になるとは、1年前には想像もしていませんでした。
なんとか、大阪城ホール(卒業式会場)は私を迎えてくれそうです。
*辻調で調理を学ぶ価値とは
辻調での1年を振り返り、何が変わったか、考えてみました。
まず、調理を「総合的にとらえられる」ようになりました。調理やおいしさの構成要素は、「調理技術」や「素材」「味付け」だけでなく、栄養、衛生、健康などと相関があり、食べる人の生育歴やライフステージ、食事の環境演出にも大きく左右されます。
学べば学ぶほど、「そうだったのか!」「ガッテン!」と思うことが増えていく。
調理は、芸術である以前に、科学であると気づく。
これこそが、辻調で学ぶ価値なのだとわかりました。
また、この1年を通して、「おいしさ」の概念が大きく変わりました。素材に応じて塩分をどうコントロールするか、料理を引き算するか足し算するか掛け算するか、火力とどう向き合うか...。毎日毎日、発見と失敗の連続でした。
調理に対するアプローチも変わりました。
西洋、日本、中国の各料理をクラスメートと調理する実習が300時間、集団調理の基本技術を習得する総合調理実習が92時間、先生が調理の原理や食文化などを教授し、先生が作られた料理を試食する「調理理論と食文化概論」が180時間あります。
本当にたくさんの料理を、しかもピカイチの素材を使った料理を、実際に学校でいただきました。
その中で、自分が最もおいしいと思ったのは......。
中国料理の調理実習で、田澤絢太先生が見本を示してくださった「麻婆豆腐」が私的第1位でした!!
おなじみの四川料理、調理技法は「焼(シャオ、煮こむ)」です。
麻婆豆腐をスプーンで試食した時の感動を、今も忘れません。
感想は「何なんだ?」「何なんだ!」でした。
これと同じ反応をした経験があります。初めてコルトン・シャルルマーニュを飲んだ時も「何なんだ?」「何なんだ!」でした。
令和の天皇即位に際して行われた「饗宴の儀」でも選ばれたフランスの白ワインと、辻調の麻婆豆腐に、私は不思議な共通点を見出しました。
今まで経験してきた味と全然違う!それはなぜ?
おいしさに、喉が、舌が、鼻が震えている!それはなぜ?
経験したことのないおいしさと体を突き抜ける感動、「?」と「!」の連射の中身です。
田澤先生の麻婆豆腐をいただいた時、口の中で「数種類の辛さ」が波紋のように広がりました。それが、これまでなじんできた麻婆豆腐と違う点でした。
私が今まで食べた中で一番辛いと思った料理は、唇が震えたほどの湖南料理でしたが、その麻婆豆腐は、直線的ではない波状の複雑な辛さで、深いコクがあったように思います。
辛さにかかわりそうな成分は、豆板醤、朝天椒粉、花椒粉、ニンニク、葉ニンニク、ラー油、花椒油。
グルメリポーターの彦摩呂さんを真似するなら「玉手箱から、辛さの五重奏が飛び出したぁ!」。
どうしたら辛さが〝五重奏〟になるんだ。
それを感じている私の〝舌〟はどうなってるんだ。
なんておいしいんだ!どうやってこの味を出すんだ?
作りたい? 作りたい!
*「最低10回は作ってみなさい」という教え
しかし、この時期の私は、中国料理の最底辺で喘いでいました。
北京鍋も四川鍋も広東鍋も、あまりにも重くて持ちあがらず、炒めものはおろか、油通しですら満足に鍋を扱えない。中国料理にはいろいろな「切る」技法があるのに、鉄の塊のような大きな包丁で、ちっとも野菜が切れない。
モタモタしていて、さっぱりおいしい料理が仕上がらない。夏の暑さと火力の熱さで熱中症の一歩手前に陥り、厨房の教室から撤退したこともあります。
突破口が見えず、「もう中国料理は食べるだけで十分。作り手にはならないっ」と、調理師専門学校の生徒とは思えない地点まで、私は追い込まれていました。
中国料理の塘和英先生の口癖は、「我々は、商売にならないものを教えているつもりはない」。学校で習ったように調理できれば商品になる、とおっしゃいますが、私は調理以前の段階で大きくつまずいていたのです。
塘先生のもう一つの口癖は、「一つの料理をマスターしたいなら、まず10回作ってみなさい」。
麻婆豆腐の授業があったのが昨年の6月半ば。ひたすら「?」と「!」の中身を知りたいという好奇心だけで、私は自宅で麻婆豆腐を作るようになりました。
中国料理の他のメニューは捨て置き(失礼!)、麻婆豆腐だけに対峙することに。
学校で習った料理を、習った通りに復習するのが本当はよいのでしょうが、私は横着なので、つい変えてみたり、はしょったりします。
それに、学校のような上質な食材が身近では手に入りにくく、特に中国料理では調味料が揃わなかったり、そもそも真っ当な「湯(スープ)」が作れません。調理の原則をだいぶん簡略化した「なんちゃって毛湯」(鶏ガラスープ)か、粉末スープの素がせいぜいなのです。
辛さの玉手箱は、はるか遠くにあり、一向に私の元に近づいてきません。そんな時に駆け込むのは谷康行先生の元でした。
*問答しながら、おいしさを科学する
谷先生は中国料理の先生ですが、生徒の安全を思い、ご近所のみなさんや通行人にご迷惑をかけないように、朝や昼に校舎の外に立ち、生徒の出入りを見守ってくださっています(「見張っている」とも言う)。
つまり、校舎の玄関で「確実に毎日会える」先生なのです。捕まえない手はありません。
「先生、麻婆豆腐がうまくできません」という私に、「ふんふん、どこがどうやってできないの」と聴いてくださるので、いろいろ自分の失敗や疑問点をぶつけます。
「最初に肉を炒めた後に加える『炸醤肉末』で、『甜麺醤』を入れすぎたら、〝もっちゃり〟した味になりました」
「ふむ、いれすぎたら、もっちゃりするわな。小さじ1杯とあるなら、すりきりにしなさい」
「『湯(タン)』は、材料を考えたら家庭では再現できません。簡単な鶏ガラスープか、化学調味料を使わない粉末スープの素を使っているのですが」
「それでやってごらん。他でも工夫の余地はあるのだから」
「私の麻婆豆腐は、辛さのバリエーションが浅すぎます。2種類ぐらいの辛さしか口の中に広がりません」
「学校のはね、豆板醤と郫県豆瓣醤(ピーシェントウバンジャン)を1:1の割合で合わせている。あなたの調理では郫県豆瓣醤がない分、辛さの深みが出ないのは仕方がないよ」
「日本の醤油を使うと塩分を強く感じます。でも減塩醤油を使ってみたら、全然コクがなくなり、まずいです。先生、コクってどう出したらいいですか?」
「糖分をいれてごらんなさい」
この時は衝撃を受けました。学校の麻婆豆腐のレシピに「砂糖」はありませんでした。甜麺醤には相当の糖分が含まれますが、入れすぎると、もっちゃりするので、これ以上増やせません。そこへ、甘味を試してみろ、とおっしゃる。
どんな糖分をどれだけ使ったらいいのか。上白糖、きび糖、はちみつ、さまざまな糖分を試し、味を見ていきます。もち米と米麹で、中国甘酒の「酒醸(チュウニヤン)」も自分で作って試してみました。
学校で「?」「!」体験をしてから7か月の間に、試作した麻婆豆腐は11回。もう11回、いえ、まだ11回で、いまだ完成していません。
でも、少し、つかめてきた部分もあります。コクがないと思ったら、冷凍庫で小分けして保存している酒醸を小さじ1杯と、キノコ類を刻んで加えます。糖分とグアニル酸を追加することで、粉末だしの素のコクのなさをカバーします。
難しいのがとろみの付け方、「水溶き片栗粉」の塩梅だなぁとも思い至りました。これは、調理の機会を増やすことで、自己ベストは更新できそうです。
麻婆豆腐は、煮汁が豆腐の量の3分の2程度になるまで煮詰め、からめなくてはなりません。この煮込み工程を急いでしまう、あるいは正確にできない。調理に対する「緻密さ」と「我慢」のなさが私の最大の欠点で、今後、解決しなければならない最重要点です。
そんな時は、西洋料理の授業で、此上潤先生がおっしゃったことを思い出すようにしています。
「いいか、ポワレは我慢我慢だぞ」
ベストの焼き具合になるまで具材をいじらず、料理が目指す最終地点に到達するまでじっと待って見極めろ、と。
西洋料理の最後の実技試験は、「帆立貝のポワレ、ラタトュイユ添え」でしたが、頭の中で「我慢我慢」とつぶやきながら、私は帆立貝をポワレしました。帆立貝の頂点と脇の部分を手でつついて、いまだ!と思えた弾力を確認してから、火を止めました。
大雑把でおっちょこちょいの私は、この「じっと我慢すること」「我慢の先、全体を俯瞰すること」が難しく、修行が足りないなぁといつも思います。
日本、西洋、中国どんなジャンルであれ、煮物であれ焼き物であれ、調理の極意や琴線にほんの少しだけど触れたな、と思えるようになったのも、今の自分に何が足りないとおぼろげながらわかるようになったのも、辻調での1年の成果でした。
ちなみに、中国料理に関しては「やっぱり作るより食べたいわ〜」「香港が恋しい〜」と相変わらず私はダメダメ生徒ですが、麻婆豆腐だけは何とかものにしたいと思えるようになってきました。
木綿豆腐、絹ごし豆腐、茄子と具材もいろいろ試してみましたが、わが家の味見師(=夫)は、「やっぱり豆腐がいい」「原点に帰れ」と言います。
私は豆腐と茄子のハーフ&ハーフも好ましく思います。茄子のグルタミン酸を加えると、味の豊かな幅がでるような気がします。
「葉とうがらしは、青ねぎで代用しても可」と学校では学びましたが、いろいろ試してみた結果、万願寺とうがらしを切って入れるのがいいなと、私の麻婆豆腐の進化過程で発見しました。
次回は「先生と生徒、料理人と未来の料理人」。お楽しみに。
プロフィール
鶴見佳子(名古屋市出身、大阪市在住)。
新聞記者、文筆家(フリー)を経て、現在、辻調調理師本科(キャリアクラス)に在籍。50代の学生ですよ!
趣味は落語(アマチュア落語家「大川亭知どり」も私のもう一つの顔)。
目標は「食堂あおぞら」の店主兼調理人。これを人生最後のしごとにすべく勉強しています